デイト

今度一緒に見に行かない?
と差し出されたチケットは最近人気のある映画のものだった。

「私、と・・・?」
「ミク以外誰がいるの。で見に行く?行かないなら違う人誘うけど」
私の発言に呆れたような目をしたクオは、ひらひらと指先に挟んだ二枚のチケットを仕舞おうとする。
「行く!行きますっ!!」
慌てて引っ込められそうになった手を掴んで、私は息巻いた。
この時の私は相当滑稽だったと自信を持って言える。それくらい興奮してた。
「よかった。それじゃあ約束ね」
私の反応にクオは満足気な顔をした。
「うん!あ、あとクオ、その映画なんだけど・・・」
「なあに?」
「あのね、できれば・・・」
照れくさいと思いつつも私はそっとクオに耳打ちをする。
ダメかな?と首を傾げれば、真剣に話を聞いてくれたクオは最後にいつもの優しい微笑を浮かべて私のワガママを承諾してくれたのだった。


そして今私は約束通り映画館の椅子に座っている。クオはジュースを買いに売店だ。
もうすぐ上映の時間だけれど案の定というか、聞いた通り周りには同じようなカップルがちらほらといるだけで、あまり館内は混みあっていない。
平日の最後の上映。いわゆるレイトショー。私のワガママ。

クオに映画のチケットを渡されたとき、その映画が先日我が家の年少組みがレイトショーで見てきたやつだいうのに気付いた。
リンちゃんがとてもいい映画だった、と言っていたから気になっていて、クオを誘ってみようかなと密かに考えてみたりもしていた。
そして、その時リンちゃんが言っていたのだ。
レイトショーであんまり人がいなかったのが更によかった、と。
照れくさそうに、でも嬉しそうに自分達のデートの様子を話してくれる彼女が可愛くて、そしてちょっとだけ羨ましかったのを鮮明に覚えている。
憧れだったのだ。
それが今実現できている。クオに思い切ってレイトショーで見たいと打ち明けてよかったと思う。
もしあの時、なんでとかどうして、と聞かれたら私はきっと何も言い返せずに適当に笑ってうやむやにしてしまっただろう。
大切な人とレイトショーを見る。
バカらしいかもしれないけれど、そんな些細なことが今の私にはとても重要なことだった。

「お待たせ。はいレモンスカッシュ」
「あ、ありがとう」
ジュースを手に売店から戻ってきたクオが隣の席に腰掛ける。
僅かな振動が少し固めクッション素材でできた座り心地のよい椅子越しに伝わってきた。
「もうすぐ始まるね」
スクリーンを見ながらそう言ったクオの横顔が、薄暗い照明のせいかいつもより格好良くみえる。
どぎまぎとした心を紛らわすために受け取ったレモンスカッシュに口をつける。
炭酸のパチパチと人工的なレモンの味が舌を気持ちよく通過していく。
汗をかいた紙コップも、一人に火照った指に冷たくて、冷静さを取り戻すのを助けてくれた。

「この映画、ミクと見たかったんだ」
前を向いたままクオが言った。
「え・・・・・・?」
「大切な人と映画見るの、ずっと憧れてたから」

「私も、憧れだったよ。だからすごく嬉しい」
私がそう言うと、前を見ていたクオが勢いよくこちら振り返り、驚いた表情のクオが眼に入る。
それと同時に館内の照明がスッと落ちて、開始を告げるブザーが鳴り響く。
だからその後クオがどんな顔をしたかはわからなかった。
だけど、暗闇でそっと伸ばされて触れた手が、普段と違って強張っていたように感じたのは気のせいではないと思う。



映画はとてもよかった。
エンドロールを流し見しながら、色々と場面を思い返す。
主人公の可愛い女の子がちょっとしたことで一喜一憂しながらも恋に励む姿はとても好印象で共感できた。
その一途で一所懸命な姿がなんとななくリンちゃんを彷彿させて、余計に応援したくなってしまったのも理由かも。
ただ最後、もうちょっとだけでいいから男の子に強引でいてもらいたかったかもしれない。
もう一歩、あそこで踏み込んでくれれば女の子としてはかなり嬉しいんだけどな、なんて無粋なことを考えてしまった。

「どうだった?」
まだエンドロールが続く中でクオが囁きかけてきた。
私は素直によかったと告げる。
映画も、一緒に見た人がクオだったことも、全てにおいてのよかった。
ふと、上映中ずっと繋いでいた手が離される。
何かを考えているのか、その手が口元に持っていかれるのがぼんやりとした輪郭で判断できた。
「クオ?」
不安になって隣を覘きこみながら呼びかけてみると、クオの手が私の肩に触れた。
そしてそのまま力が篭められ、椅子の背もたれに押し付けられる。
逆の手が私の顎を軽く持ち上げると、何かを言う前に唇がふさがれる。

「んっ・・・!」
いつもしてくれる、触れるだけの優しいキスではなく、もっと深い所を抉るような激しいキス。
押し返そうとしても、クオの力が予想以上に強くてビクともしない。
絡めとられる舌が織り成す水音は、流れている音楽よりずっと小さいはずなのに耳障りなほどはっきりと聞こえた。
漏れそうになる声を押し殺す。
初めての激しいキスが苦しくて、辛くて。
止めてと懇願するようにクオの胸を叩くと、ようやく唇が解放された。

「これくらい強引でもよかったと思う」
涙で滲む目でクオを見ると、すごくキレイな、でも普段とは違う男の顔をしたクオが静かな声で呟いたのが聞こえた。

音楽が鳴り止み、暗かった照明が灯り本日の上映が終わったことを告げるアナウンスが入る。
他の客も名残惜しげながらも一斉に出口に向かって狭い通路を歩いてく。
「帰ろうか」
いつもの顔と声でクオは私に手を差し出す。
まるでさっきまでの出来事などなにもなかったかのような、本当にいつものクオだった。
「う、ん」
返事はしたものの立ち上がれないでいると、優しい手つきでクオが立ち上がらせてくれる。
それなのに、私はクオの顔を直視できないでいた。
俯いたまま導かれるように出口へと向かう。
身体の深には先程のキスの余韻が痛いほど跡を引いていた。