花柄
出かける間際、玄関に腰掛けてポーチの中身を確認しているときにミク姉に声をかけられた。
「リンちゃん、そのサンダルおニュー?」
顔を上げてミク姉を見ると、その視線の先には先程箱から取り出されたばかりのサンダルがあった。
「うん、この間一目ぼれして買っちゃった」
「いいね、すごく可愛いもの」
「えへへ、そうかな?」
ミク姉に褒められて上機嫌になったあたしはサンダルを手に取ると、早速そのバックストラップを外して片足をはめてみる。
華奢なデザインのそのサンダルは普段履いている靴と違ってかなり女の子らしくて、それに包まれた自分の足もなんだか他所行きの顔をしているように見えた。
「そのサンダルの靴底、花柄になってて素敵だね」
残った方のストラップを外している時にミク姉がそう言った。
「そうなの、そこも惚れちゃった所なの」
さすがお洒落センサーの高いミク姉だ。
普通だったら自己満でしかないような、細かい部分もちゃんと見ていてくれている。
「履いちゃえばわからないんだけどね」
両足のストラップをパチンと留めながらあたしは肩をすくめるように言った。
「見えない部分も大切だよ」
立ち上がったあたしにミク姉は軽くウィンクしてみせた。
「レン君とのデート楽しんできてね」
「デートってほどでもないよー」
呆れたような口調で言い返したけど頬が緩んでいたらしく、ミク姉はいいから、いいからとニヤニヤしながら言ってポーチを手渡してくれた。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
笑顔で手を振るミク姉を後ろにあたしは日差しの中へと踏み出した。
本当にデートってほどじゃないんだ。
朝から仕事に出かけたレンの収録がお昼くらいまでだから、そのまま外で待ち合わせして、お昼を食べてちょっとぶらぶらしてから帰るだけ。
たったそれだけ。
それだけのはずなのに、何故かあたしの足取りは軽くて、油断していると顔には笑みが浮かんでくるのがわかった。
慌てて真顔に戻り取り繕ってみるけど、今度はサンダルが目に入りまた笑みがこぼれる。
新しいサンダルが太陽の光を受けてキラリと輝く。
このときのちょっと照れくさくて、でも晴れ晴れとした気持ちが今日一日続くと思っていた。
レンとは待ち合わせの場所ですぐに会えた。
ヒールのお陰でいつもと逆転した目線にレンは一瞬あからさまに嫌そうな顔をした。
どうしたの?どうしたの?ってわざと聞けばレンもわざと聞こえるように舌打ちして、
「もういいから早く行くぞ」
と言いながら手を差し出してきた。
怒らせちゃったかなー?と思って顔を覗き込めば、レンはいつも通りの表情に戻っていて安心したやらちょっと悔しいやら、よくわかんない気持ちになった。
まあいっかと思いながら、レンの歩調に付いていこうと足を忙しなく動かす。
目的地はここから10分ほど歩いた新しいパスタ屋さん。
ミク姉がこの間行ってきた話しによるとランチのデザートのケーキが5種類から選べるらしく、レンがいるから2つ味わえるなーなんて思考を巡らせていたときだった。
踏み出した足に熱を持った違和感。
そして一歩一歩と進んでいくうちにその違和感は痛みに変わっていく。
(あーやばい両足共だ…)
覚えのある痛みにあたしは確信した。
そう靴擦れになってしまったのだ。
歩くたびに摩擦によると熱と痛みが徐々に徐々に大きくなっていく。
踵を庇うために少し前のめりになりながら、歩幅も狭くして、でもレンにはバレないように、あくまで顔は笑顔で。
レンに靴擦れのことが知られたら、きっと家に帰ろうって言い出すに決まっている。
それは…ヤだな……。
だって嬉しいんだもん。レンとこうやって出かけることができるの。
なのに、
「リン、足どうかした?」
レンにはあっさり見つかった。
「え、、そ、そんなことないよ…?」
そうは言ってみたものの、レンはあたしのぎこちなさに違和感を覚えたんだろう、とっさにあたしの足元を見る。
「ちょっとストップ!」
「な、なによ…」
歩みを止めるとすっとしゃがんだレンは、あたしの踵を見ると聞こえるように大きなため息を吐いた。
「痛いなら痛いって言えよ」
「別にガマンできるもんっ…」
「ガマンすることじゃないだろ」
だって、、、と言い返そうと思ったけど、呆れたような怒ったようなレンの顔をみてあたしは何も言えなかった。
「とりあえずもうちょっとガマンできる?そこの公園で具合見よう」
「うん…」
しゅんとなったあたしにレンは優しく促した。
公園のベンチに腰掛けたあたしは、上半身を屈めてそっとサンダルのストラップをはずした。
痛みから解放された踵を恐る恐る見てみれば、レンがため息を吐いた理由がよくわかった。
水ぶくれが破け、ベロンと皮が剥け赤くなった踵は誰が見ても痛そうだ。
よくこんなになるまでガマンできたな、と傷口を眺めながら他人事のように思う。
屈んで足の様子を見ていたレンが立ち上がると、
「これ以上歩くのは止めたほうがよさそうだな」
とそれこそ呆れかえった声で告げた。
「え、そんなっ…!」
「だってこの足じゃムリだろ」
「大丈夫だよっ、折角ここまで来たんだし、ね?」
目の前に立っているレンに懇願の眼差しを向けながら意義を申し立ててみるけど、
レンはしょうがないだろ?と言う風に首を横に振ってみせた。
「とりあえずさ、そこのコンビニで絆創膏買ってくるから。これじゃ買えるのもままならないし」
しゅんと項垂れるあたしにレンは言った。
レンの中ではこのまま帰ることが決定したんだろう。
「どうかした?」
「ううん、何でもない………レン、、」
頭は横に振ったものの、まだ帰りたくないという気持ちを込めてもう一度レンを見つめると、
「すぐ帰ってくるから」
とレンはあたしの頭をくしゃりと撫でた後早足であたしの前から歩き出した。
(そう言うわけじゃないんだけどな…)
釈然としない気持ちであたしは撫でられた髪に触れてみた。
直射日光を受けた髪はやたらと熱くて、遠ざかっていくレンの背中を見ながら無性に虚しい気持ちが胸の奥で渦巻いた。
(なんでこうなっちゃったんだろー)
足元に置かれたサンダルを爪先で弄ぶ。
痛々しく腫れた踵も、今は何にも触れていないお陰で特に痛みは感じない。
(普段の靴で来ればよかった)
足の指に引っ掛けながらブラブラとサンダルを揺さぶる。
ちらり、ちらりと目に入ってくる花柄。
そこが気に入って買ったはずなのに。
白地に可愛らしく散らばる花柄が今は妙に憎らしい
レンだってレンである。
二人で出かけるのは久々だというのに。
あっさりと帰ろうだなんてあんまりではないか。
こうゆう時に二人の温度差を感じてしまう。
ポーンとぶらつかせていたサンダルを空に放り投げる。
サンダルは大して高くも上がらず、数メートル先にポトリと落ちた。
ハァと大きくため息を吐いて飛ばされたサンダルを見やる。
(取りに行かなきゃ…)
重い腰を上げようとベンチに付いた両手にぐっと力を込めると、下に向けられた目に熱いものが込み上げてきた。
込めていた力を抜いて再びベンチに深く腰掛ける。
(何サンダルに当たってるんだろ…カッコ悪)
最初はあんなにウキウキしてたじゃないか。
レンだって私のことを思って帰ろうと言ってくれてるだけだし、
そのためにわざわざ絆創膏を買いに行ってくれてるのに。
その時、頭をポンと小突かれた。
え?と思って見上げると、レンが目の前に立っていた。
「何靴飛ばして遊んでんだよ」
こっちに来る途中で拾ってくれたのだろう、しゃがみながらあたしの足元にサンダルを置く。
「ホラ、足、見せて」
「ん…」
「リン泣いてた?」
「泣いてない…!」
「そう?ならいいんだけど」
溜まっていた涙を乱暴に拭うと、クスッと笑いながらレンはあたしの足を取り自分の太ももの上に乗せる。
足の裏に服越しのレンの体温がじわりと広がった。
ぺりぺりと微かな音を立てて靴擦れの部分に絆創膏が貼られていく。
「次、反対」
「ん」
ぶっきら棒に逆の足を差し出すと、レンは嫌な顔をせずに先程と同じように絆創膏を貼っていく。
「ハイ、終わり」
「ありがと…」
立ち上がったレンは大きく伸びをしている。
そんなレンを横目に、サンダルの上に置かれた足を見る。
(もう帰るんだ…)
そう思うと足に力が入らなかった。
俯いていると視界にレンの影が近付く。
ああ、立ち上がらなきゃ…。
そう思ったとき、
ドサッ
と何かが地面に落とされた。
そこには自分が履いているのとは正反対の無骨な男物のサンダルがあった。
「えっ?」
思わず声を上げてレンを見上げると、
「歩きやすそうなの、こんなのしかなくって」
そう言ったレンの表情がよくわからなかったのは逆光のせいだけじゃなかった。
「ご、ごめんやっぱイヤだよな!そっちのと違って全然可愛くないし」
いきなりボロボロと泣き出したあたしにレンは慌ててサンダルを片そうとする。
そんなレンより早くあたしは無骨なサンダルに足を突っ込む。
「ううん」
涙を脱ぎながらあたしはすくっと立ち上がる。
「違うの、嬉しかったの」
ペタンコの踵のお陰で普段と同じ身長差に戻ったレンに、まだ涙の跡が残る顔で微笑んでみせた。
驚いた顔をしていたレンは、あたしが笑顔にもどると安心したのか、良かったとでも言うように優しく微笑んでくれた。
振り返り、さっと足元にある自分のサンダルを掴むとレンを置いてあたしは駆け出す。
「あ、待てよ!」
後ろから聞こえる声に、
「早くしないとランチタイム終わっちゃうよー!!」
と叫びながら、手の中で揺れるサンダルを見た。
可愛らしい花柄が散らばるそれは、確かにさっきまで憎らしさまで覚えていたはずなのに。
(ありがとう…!)
目に映る花柄にニコリと微笑むと、あたしはレンに追いつかれまいと足を早めた。