レイト

ドアを開けると一陣の冷たい風が流れ込んでくる。
暦の上では春になっていても、その兆しが感じられるのは昼間の明るいときくらいだ。

「・・・・・・寒くないの?」
「・・・・・・」
窓のさっしにもたれ掛かって外を眺めているリンからは何も返事がない。風で頭のリボンがパタパタとはためいている。
オレは思わず身震いした。
寒いからじゃなくて、リンから窺うことができる怒りのオーラのせいだ。

「あの、リンさーん?」
「・・・・・・何か言うことあるんじゃない?」
ああ、これはかなり怒っている。普段と違ってかなり声が刺々しい。

「・・・・・・お待たせしました」
それだけ?といった感じでジロリと視線が向けられる。その睨みはなかなか恐くて、背筋に冷たい何かが走り抜ける。

「遅くなりました。寝坊しました。3時間も待たせてごめんなさい」
間髪いれずに謝罪の言葉を述べたが、果たして素直に謝ったところで、ご機嫌斜めなリンの機嫌を元に戻せるかは甚だ疑問なところだ。
どうすればリンの機嫌が直るだろうか、と思考を張り巡らせていると、何かが勢いよく投げつけられきて、寸での所でそれを手で受け止めた。
バシッと痛そうな音が響いて床に一冊の雑誌が落ちる。
それは月の頭に買った情報誌で、花見スポットや映画、流行のレストランなど旬の情報が満載のものだ。
もうすぐ新しい号がでるこの雑誌を買ったばかりの時、リンと一緒にページをめくりながら、ここ行ってみたいやらこれ見たいやら色々話していたっけ。
結局二人の時間の都合により実行に移せるのはほんのわずかだったりするのだが。

そのわずかに実行できる日が今日だったのだ。
お互いの意見が一致した映画の最終上映日。
午前中まではオレに歌の仕事が入っていたけど午後からなら大丈夫、ということで決定された日付。
なのにあろうことか仕事から帰ってきたオレは、約束の時間まで少し余裕があったのと連日出勤による疲れのせいでうたた寝してしまったのだ。

「・・・・・・3時間よ!」
くるりとこちらを向いたリンの格好はオフホワイトのブラウスに淡い色のカーディガンを羽織、デニムのミニスカートに足元はレギンス。となかなか春らしく吟味された格好だった。
だけどその服装は出かける予定だった日中ならまだしも、陽が傾きかけているこの時刻にはどうみても肌寒い。

「レン、起きる気配全然ないんだもん!もう見たい映画終わっちゃったじゃん!あたし、あたしっ・・・今日をすごく楽しみにしてたのに!!」
一気にまくしたてた後、しゅんとリンはうつむいてしまう。
「あたしだけが楽しみにしてたみたいじゃん・・・・・・」
聞き取れるぎりぎりの、頼りないリンの呟きがなぜかはっきりと聞こえた。

「もっと殴るでも蹴るでもして無理やり起こせばよかったのに」
リンの力を持ってしてならオレを起こすのなんて簡単なはずだ。
そもそもオレは起こされた記憶すらない。いくら何でも声を掛けられたり、揺すられたりしたら多少は気付くと思うんだけど。
ため息まじりにそう言えば、下を向いていたリンがキッとこちらを睨みつけた。

「それは・・・!レンが・・・」
「オレが?」
「レンが仕事帰りで、すごく疲れてたみたいだから・・・映画も私が言い出したことだし、だから!それだけっ!!」
こんなこと言わせないでよ!!レンのばかぁと叫びながらリンは手近にあるクッションを手繰りよせ突っ伏す。

それだけって・・・。
えーと、これは、どうすればいいんだ?
っつーかかなり嬉しいのですが。

オレと出かけるのをそんなに楽しみにしていたこともだし、この日のために滅多に着ることのないスカートなんかで、気合の入った格好をしてくれていること。
そしてそれ以上に疲れて寝てしまったオレを気遣って、約束の時間が過ぎても起こさないでいてくれたこと。
自惚れかもしれないけれど、つい顔がニヤけてしまう。

「何ニヤけてんのよ、気色悪い・・・」
クッションから顔を上げてこっちを見たリンが呆れたような声を出す。

「なあリン、やっぱせっかくだから行こう」
「やーよ。もう一緒に見るやつ始まっちゃってるもん。これが最後だもん」
「レイトショーで見たかったのあるだろ?」
「あるけど・・・・・・恋愛ものだよ」
「いいよ。こうなったのはオレのせいだし」
ベッドから身を起こしたリンが訝しそうな瞳でオレを見る。
それもそうだ。
映画を決めるときにオレは絶対恋愛ものは見たくないと豪語したから。折角の大画面で見るならアクションやSFがいいと言い張った。
リンはこの春イチオシの感動ラブ・ストーリー、みたいな謳い文句の映画に興味があったみたいだけど、何とか押し切ったのは記憶にそう古くない。
確かに恋愛ものはちょっと苦手だけど、リンのことを無下にするのはもっとイヤだから。
まあ、そんなことは言えずそれを隠すように、

「それに、折角オレのためにお洒落してくれたんだし?」
と茶化すように言った。すると今度はクッションが飛んできた。
ボスッっと受け止めてクッションを下ろすと、顔を真赤にしたリンが目に飛び込んでくる。
表情がくるくると変わるし、しかもオレと違って隠せない。
そんな所がいちいち可愛いな愛おしい―――。知らず知らずに再び口元が緩んだ。

リンに近付くと赤くなった顔を隠すように俯いてしまう。
その耳もとにそっと囁く。
「図星でしょ?」
そう言った瞬間、拳が飛んでくる。
ほとんどフリだけのそれを軽く手でつかみ反動をつけてリンを立たせる。
わっ、と驚き少し傾いだリンを包み込むと、ずっと風にあたっていたせいか随分と身体が冷えていた。

「待たせてごめんね」
その青い瞳を見ながら優しく髪をかき上げる。
するとますます顔の赤くなったリンがふっと視線を逸らし唇を尖らせると、
ポップコーンもつけてよね。と掠れ気味の声で呟いた。