トロイメライ
おもちゃ箱をひっくり返したような色とりどりのネオンが飛び交う街中、売られていないものは無い、というこの界隈でもその店は一際異彩を放っていた。
ライトアップされたショウウィンドウの中には、細やかなレースで縁取られた白い絹のドレスを着て、美しく装飾されたその人形が微笑んでいた。
カイトは思わず足を止めてその人形を眺める。
綺麗な装飾品に負けることなくその人形はとても美しく、しばらく呼吸をすることを忘れてしまった気がした。
そしてその微笑に魅せられたカイトは店の中へ足を踏み入れた。
「観用少女という名をお聞きになったことは?」
店の中は薄暗く香が立ち込めており、調度品はアンティークの骨董品で固められていた。店主に差し出されたお茶のカップも高級感溢れており、カイトは自分が場違いであることを肌で感じ落ち着かなかった。
店主も変わった風貌をしており、紫の長い髪を後ろに一つに束ね、奇妙な服を着ている。
「プランツ・・・?ああ、客の中に持ってるとか言ってるいた気がする」
自分にしか極上の笑顔を向けないんだとか言っていたっけ。その時は金持ちの戯言だと思って聞いていたけど、今ならそれも頷ける。
この微笑が自分だけのものなら自慢したくもなるだろう。
「失礼ですが、お客様のご職業はヴァイオリン関係で?」
「えっ?」
「いえ、ただお客様から松脂の香りがしたもので、もしかしてと」
「・・・すごいな。僕は街でヴァイオリン職人をしている」
香が立ち込めたこの店内ですら松脂の匂いがするとは、きっと身体に染み付いているか、店主の鼻が余程いいかのどちらかだろう。
ああやはり、と店主は納得したように微笑んでみせた。
「夢はね、自分が作ったヴァイオリンで舞台に立つことなんだけど、こればっか実力がないとね」
「素敵な夢ですね。・・・せっかくですからもっと近くでどうぞ」
店主が少女をカイトの傍まで持ってきてくれた。
改めて見直すと少女のあまりの美しさに思わずため息が漏れた。
青緑色の長くしなやかで柔らかい髪は光を受け、青銅のように鈍く輝いており、肌は磁器のように白く傷一つなかった。
愛らしい頬は薄っすらと紅がさしたように赤く染まっていた。
そして何より瞳の綺麗なこと。
澄んだ湖の一番深い所の色をそのまま持ってきたように、その瞳は碧く、冴え冴えとしていた。
「少女の方はお客様のことを気に入ってるようですが」
「僕、のことを・・・?」
「ええ、少女は自分の気に入った人の前でしか目を覚ましません。」
その言葉はカイトの中でとても甘美に響いた。
「でも、きっと高いんだろう・・・?」
「そうですね、」
そう言って店主は色紙にサラサラッと値段を書いてみせた。
「!!!!!」
そこに書かれた値段にカイトは思わず絶句する。
「こんな高いものはいくらなんでも買えないよ・・・!」
「しかし目覚めてしまった以上、お引取り願いませんと」
「・・・どうなってしまうの?」
カイトが恐る恐る尋ねる。
「枯れて、しまうのですよ。メンテナンスに出さないと」
『枯れる』、この子が。
胸に深く突き刺さった言葉がカイトを苦しめる。生活を切り詰めて、バイトを増やせば買えるのではないだろうか、一瞬考えるがすぐに壁にぶち当たる。
今だって決していい生活をしているわけではない。
「エサは一日三回のミルクと砂糖菓子のみ。ローンの方も承っておりますが」
カイトの心が揺らぐ。ローンにすれば買えるだろう。しかし、それでも生活が苦しくなるのに変わりはなかった。やっぱり買えません、店主にそう言おうとした時、
少女がキュッとカイトの服を掴み、とても寂しそうな顔でカイトを見つめた。
「か、買います」
口から出た言葉は先ほどまで考えていた言葉とは違った。
そう言った瞬間少女の顔に笑顔が戻る。
この笑顔のためなら、どんなに辛くてもがんばろう。カイトはそう思った。
店主はその様子を見て満足気に微笑みながら言う。
「観用少女の何よりの栄養は愛情でございます。どうぞ大切に慈しんで下さい。」
少女が来てからというものローンを払うため、少女を養うため、昼はヴァイオリンを作り、夜は日雇いのバイトをしそれこそ休む暇もないくらい働いた。
それでもどんなに仕事で夜遅くになっても家に帰ると少女がとても嬉しそうな顔で迎えてくれるから、カイトはめげずにがんばることができた。
そしてそんな忙しい生活の中でも楽しみにしていることがあった。
それは彼女の前でヴァイオリンを弾くこと。
カイトがヴァイオリンも持つと少女は顔を輝かせて近寄り、カイトの目の前にちょこんと座り聴く体勢に入る。
最初のうちは既存の曲ばかり演奏していたが、せっかく少女が聴いてくれるのだからと、少女のための曲を作ろうと考え出し、仕事の合間にちょこちょこと音符を並べていった。
少女のことを考え、少女のためを思った曲は、ゆったりとした曲調で始まり、軽快なリズムで盛り上がり、最後は少女が安らかな眠りにつけるよう、優しく柔らかなメロディで。
それは静かな湖に投げた小石の波紋がだんだんと収束していくのと似ていた。
「君のために曲を作ってみたんだ。聴いてくれるかな?」
初めて曲を披露するときにそう付け足した。そしてヴァイオリンを弾き始める。
少女の反応は今まで以上に目をキラキラさせて曲を聴き入っていた。
カイトはその様子がすごく嬉しくて夢中になってヴァイオリンを弾いた。
曲が終わる頃にはカイトの思惑通り、少女はそれはそれは幸福そうな顔で夢の中に入っていた。
カイトの中でこの曲のタイトルはもう決まっていた。
少女に捧げるという意味で、少女の名前から採ったこの曲のタイトルは、
to future―――。
そしてこの曲が偶然大手音楽会社のプロデューサーの耳に留まり、観用少女の子守唄として演奏家カイトと供に、世界中に大流行するのも、
そう遠くない未来―――。