セレストブルーpart1
その求人広告を見たとき、体の良い仕事だとレンは思った。
そこに書かれている内容は一日三回観用少女にミルクを与えることと、この街で五本の指に入る大きなビルの住所。たったそれだけだった。
「観用少女のことはどれ位ご存知ですか?」
ビルの受付で広告のことを話すと、直ぐ様秘書風の若い男がやって来てレンをエレベーターまで導き最上階へのボタンを押した。
「そんなに詳しくはないけど、そいつで身上を潰した奴が沢山いるってのは聞いたことあるよ」
レンは皮肉めいた口調で男に告げたが、男は肯定と捉えていいのか、それともそれ以上何も言うなという意味なのか判断しづらい風に目を閉じた。
「あなたにやっていただきたいのは、その少女にミルクを与えることです」
そう言ったのと同時にエレベーターは最上階に着きゆっくりと扉が開く。
そこはガラス張りの天井からはあたたかな日差しが差し込み、色とりどりの花が咲き乱れさながら天国のような情景だった。
その中にポツンとある白い椅子とテーブル、そしてそこに腰掛けている一人の少女。
「少々ここでお待ちください」
男はレンを残して庭園の奥にある白い建物へ歩いて行ってしまった。
一人になったレンは少女に近付いて真正面から少女を見据える。
肩辺りで切り揃えられた金色の髪は目一杯日差しを受けキラキラと輝き、結ばれたレースの赤いいリボンがとてもよく映え。
長い睫毛の下に隠された瞳は、空の青さを映したかのように透き通り、白い肌にはリボンと同じ赤を基調としたサテン生地に細やかな金の刺繍が施されたチャイナ風のドレスが似合っている。
ただし少女の表情は硬く、赤く紅が引かれた唇はキュッと結ばれたままであった。
「先月、奥様が亡くなってからこの少女は笑わなくなってしまったのです。」
ふんわりと湯気の立つカップを持って男が戻ってきた。
カップをレンが受け取ると、中身は人肌に温めたミルクだった。
「そのミルクを少女が飲めば、晴れてあなたは採用です」
おそるおそるレンはカップを少女に渡す。
表情を変えずに少女はカップを受け取ると、ゆっくりとミルクを飲み干した。
男は驚いたように目を丸くしたが、特に何も言わずレンに詳しい仕事内容の説明をした。
しかし詳しくとは言っても仕事はとても簡単なもので、朝・昼・夕方に温めたミルクを少女に与えること。
必要ならば砂糖菓子も。何か不足したもや異変があったら、白い建物内の電話で知らせること。
後は本を読もうが、寝てようが自由にしてていい。
それだけだった。
5日ほどこの仕事を続けたが、特に変化のないこの仕事にレンは既に飽きてきていた。
ガラス張りの屋上庭園は特になにもなく、少女もミルクは飲むものの表情は相変わらず硬く、なんとなく冴えない感じがする。
唯一下界との繋がることができるのは庭園の端にある白い建物の電話のみ。
しかし、バイトの身でそれを私用で使うにのははばかられた。
部屋の中も特に目新しいものはなく、ミルクを温めることができる簡単なキッチンと、テーブルと椅子。そしてほとんど中身のない本棚。入っている本も植物図鑑や詩など、到底読んでておもしろそうなものではなかった。
はぁ、とレンは盛大なため息をつく。詩集をめくりながら明日は何か持ってくる必要があるな、そう思ったとき、パラパラッと何かが落ちた。
拾い上げてみるとそれは数枚の写真だった。
写っているのは上品な雰囲気の女性と観用少女。
そうあの少女だった。
写真の中の少女は今とは比べものにならないほど幸せそうな笑顔で、ずっと綺麗だった。
レンは写真の裏を見ると、日付と擦れた字で何かが書いてあった。
『リンと―――。』
レンは男が言っていた言葉を思い出す。
奥様が亡くなってから笑わなくなった、十中八九この写真の女性が奥様で、少女の名前がリンだろう。
昔はこんな風に笑っていたのか、もう一度レンは表の写真を見た。
しばらく写真眺めた後元の詩集の中に戻すと、建物の外に出た。
この庭園はあの女性と少女のための場所。
愛してくれる人がいなくなったこの庭で少女は一人何を思うのだろうか。
レンは少女を探した。
もう一度少女に心から微笑んでもらいたかった。
そしてその笑顔を自分が見たいと、心から思った。
少女は最初の時と同じく白い椅子に座ってぼんやりと空を見ていた。
「リ、ン・・・」
名前を呼んでみる。
少女がゆっくりとレンの方を向いた。
「君の名前はリンでいいんだね」
しばらく見つめあい、自分が初めてこの少女のことをちゃんと見たことに気づいた。
そしてそれは少女も同じだった。
「観用少女って綺麗なんだなぁ。でも写真の中の君はもっと、ずっと綺麗だったよ」
レンは少女の髪に触れる。
少しパサついているが、とても柔らかい金の髪。
「戻ってあの頃に。君の笑顔も一度見せて」
そう言うとリンはにっこりと微笑みを浮かべ、レンの手にそっと自分の手を添えた。
その動作と微笑みはレンの心を掴んで離さなかった。
少女がレンに微笑んでから、リンは日ごとに美しさを増していった。
レンは以前のように仕事をつまらないなんて感じることはなくなり、毎日リンに会えることがとても楽しみだった。
その日も踊るような足取りで屋上庭園の扉をくぐると、リンの他にもう一人人がいた。
近付いてみると、その人―――青い髪をした男が振り返ってレンに話しかけてきた。
「あなたが少女に笑顔を戻してくださったのですか」
その人物はこの街に住んでいれば新聞やテレビで一度は見たことがあるこの会社のボスで、レンの雇い主であった。
「妻を亡くして、妻との思い出が多すぎるこの場所とこの子を封じ込めてしまった。」
そう言ってリンに手を伸ばして優しい手つきでその髪を撫でた。
「でもそれは間違っていました。もしそのままでいたらまた一つ大切なものを失くしてしまう所でした」
「リンも・・・」
レンがゆっくりと言葉を紡ぐ。
「リンも、あなたに会えて嬉しそうです」
男は目を見開き、それから少しだけ涙を流した。
その様子はメディアで見たときとは違い、とても小さく弱々しく感じた。
「私は妻とリンにこの街からでも故郷が見えるようにしてあげたかったんです。」
男の言葉にレンはこのビルがとても高い理由を知った気がした。
屋上から見える景色は遮るものがなく遠く、遠く。
空は天上に高く、高く至高の青を湛えていた。
それはとても平和な光景に思えて、だからレンは知らなかった。
このビルが他の大手会社に買収されかけていたことを。