策略プリンセス
〜sleeping beauty〜


扉を開けると初夏の爽やかな風が首やら腕やら、むき出しの肌の上を心地よく掠めて流れた。
空気の入れ替えのためだろうか、ほんの半分ほど開け放たれた窓は日差しによりキラキラと輝き、カーテンも風を受けてちらちらと踊っている。
そんな窓辺のすぐ下、濃い金色の髪を床の上に散らばらせて、一人のお姫様が深い眠りについていた。

「風邪引くぞー」
いくら暖かいとはいえ何も掛けず薄着のまま風に当たり続けるのはよくない、そう思ったレンは、後ろ手で扉を閉めながらカーペットの上でネコのように軽く身を丸め寝ているリンに声を掛けた。
しかしリンはピクリとも反応せず、すやすやと心地よさそうに寝息を立てているままだった。やれやれといった調子でレンはリンに近付き、そっと傍にしゃがみ込んで顔を覗き込む。
「リン、ホラ風邪引くから、な?」
間近でもう一度声を掛けるがそれでもリンはまったく反応しない。

「リンー?」
声のボリュームを上げて、もう一度呼んでみるがやはり変わらない。
彼女のこの寝つきの良さに正直呆れつつも、レンはその床に広がる柔らな金髪を救い上げ、さらさらと指の間からこぼす。
そんな動作を2,3度繰り返したがそれでも微動だにしないリンを見て、まるで魔法によって深い眠りから覚めない眠り姫のようだ、とレンは思った。
日差しを反射して光っている金髪も、伏せられた長い睫毛も、なだらかな額や、透き通るような白い肌に、唯一の生きている証であるような薄桃に染まった頬など、全て絵本の中から抜け出したお姫様だ。

それなら自分は…?

眠り姫を前にふと考え込む。
眠りに落ちた姫を救い出す人物はいつだって決まっている。それと同時に目覚めさせる方法も。
まるで魔法に掛けられたように目覚める気配のない、リンの魔法を解くことができるのは自分な気がした。
そして起きているリンを前にするとなかなかできないその行為が、今なら自然にできる気がして。

考えた末にリンの閉じられた瞼が開かないことを願いながら、レンはゆっくりと眠れる姫
に顔を近づけていった。

近づけた顔の影がだんだんと濃くなる。
自分の潜めた呼吸ですら聞き取れそうな距離。
唇と唇が触れる―――寸前にレンは動きを止めた。


「リン…起きてるだろ?」
声を震わせながらレンが呼びかけると、目をつむったままリンがニヤリと笑った。

「ばれちゃったぁ?」
「笑いこらえてただろ…」
「うん、だって待ちきれなくて」
レンすごく躊躇ってるんだもん!とケラケラからかうようにリンが言い放つ。
いつからだよ!と恥ずかしさと気まずさで顔を赤らめながらレンが問えば、最初からと答えるではないか。
はなからレンを試す気満々だったというわけだ。

「一体何のマネだよ…」
「ん?死んだフリの真似」
「何だよ死んだ‘フリ’の‘マネ’って…」
「迫真だったでしょ?」
相変わらず目をつむったまま寝転んだ状態でリンが言う。
果たしてそんなことをして楽しいのかと呆れつつも、起きているのに気付いたことでキスすることができなかった自分が妙に惨めな気持ちになってきた。

「まあ、いいや。それより起きれば?」
「うん?やだ」
「何でだよ」
「何ででしょう」
目覚めているのに起き上がらない理由がわからなくて、レンは自分の頭を掻きあげる。
目を閉じたままのリンは、そんなレンの様子が見えてるかのようにニコニコと笑っている。

「もう、本当にレンは待たせるわね」
「いや、だってわかんねぇだもん」
「それじゃあヒントね…足りないの」
「何が?」
リンの意味不明な言葉にはぁ?っとレンの顔が怪訝になる。
「うーんとね、魔法を解くカギが」
「カギ?」
「そっ、後は自分で考えて」
そう言われたもののリンの言葉の意味にますます訳がわからなくなる。

「リンやっぱりわからないんだけど…」
レンは散々考えた挙句リンに降参宣言をしたが、リンはお得意の「死んだフリのマネ」とやらをして喋らないどころかピクリとも動かない。ご丁寧に手はちゃんと胸の上で組まれていて、呼吸の音も動きも控え目だ。

何だかなぁ、と思ってその健やかな顔を再び覗き込む。

その時レンはリンが望んでいることにやっと気がついた。
眠り姫の魔法を解くカギ。
それは即ち―――。

わかったとたんレンの顔がまた赤くなった。
自分でも熱くて燃えるようだと思う。
望んでいることがわかっていても、それがスムーズにできるわけではない。
しかし物語をハッピーエンドで終わらせるために、その行為は必要なのだ。

散々悩み、戸惑ったレンも腹を括ったのか、
眠れるリンの小さな唇にそっと、小鳥がついばむような可愛らしい口付けをした。

そっと唇を離すと、閉じられていたリンの瞼がパチリと開き、遅い!と言ってレンに飛びついてきた。
「最初からこうすれば早かったのにぃ」
向き合った状態でレンの首に手を回して、ちょっと唇を尖らせながらリンは言った。

「し、仕方ないだろ」
「あたしでよかったね」
確かにこんなに待たせていては、物語のお姫様は待ちくたびれてしまうだろう。
自分には王子様は無理だとつくづく実感していると、催促するようにリンが目を閉じてきた。もう一度赤くなりながらも、レンはさっきのキスよりしっかりとした、

誓いのキス

をリンの唇に落とした。
軽く音を立てて唇を離せば、リンはゆっくりと瞼を開け空色の瞳をむじゃきに輝かせながら、えへへーと笑ってぎゅっと嬉しそうにレンにしがみついてくる。
まんまとリンに嵌められた気がしなくもないけれど、この自分だけのお姫さまの目を覚ますことならできるみたいだから良しとしておこうか。
腕に力をこめつつ、内心でレンはそう思ったのだった。