satellite


「フラれちゃったの………」

受話器越しに聞こえた君の言葉に耳を疑った。
急いでどこにいるのかを聞き出し、そこから動かないでと釘をさしてケータイを切ると大きく息を吐いた。

フラレチャッタノ………

たった今発せられた彼女の震える声が頭の中でリフレインする。
だって、そんなことが…
居ても立ってもいられず彼女の元へと足を早めた。
太陽が沈み切る前の薄明るい空には、ぼやけた満月が輝いていた。



海が見えるこの公園は日没後はきれいにライトアップされるせいか、手ごろなデートスポットらしく、周りにはカップルが点在している。
その中に一人ポツンと柵にもたれて海を眺めている髪の長い女の子がいた。

「ミク…!」

「ミク…っ!」

ずっとそうしていたのだろうか。今にも海に身を投げ出しそうな雰囲気に怖くなって、近寄りながら声を強めて呼びかけると、肩がピクリと動き、ゆっくりと彼女がこちらを向いた。
ほっとしたのも束の間、すぐに俺は彼女の瞳が僅かな光の中でもはっきりとわかるほど泣き腫らされて赤くなっていることに気付いた。

「ミクオ…」
「ミク、何があったの?振られたって、だって、あいつは……」

そこで言葉を切る。
その先が言い出せなかった。
ミクの彼氏で俺の友達でもあるあいつは―――。



「今日、人工呼吸器を切ったの」

本人の意思を尊重して。

か細く震える声でミクが告げた。

ミクの言葉を聞いた瞬間、あいつがもうこの世にいないという事実を悲しいと思うより早く、ああ、やっぱりそうか、意志が強いあいつらしい。そう思った。

あいつはすごくいいやつだった。
お人好しで困った人を見ると放っておけない優しいやつ。
だけど自分には厳しくて、変な所で頑固な一面もあった。

そんなやつと一見正反対な俺は不思議と気が合い、よく行動を供にした。
そしてそこに、俺の幼馴染であるミクが加わり、いつの間にか3人で遊んだりするような関係になった。

俺はやつに出会う前からミクに淡い恋心を抱いていた。
けれど友人か恋人どちらを取るか、その間でいつも揺れ、躊躇っていた。
諦めに近い恋心だったと思う。
だから、ミクにあいつのことを相談されたとき、その想いに終止符が打たれて悔しいと思うよりは清々しい気持ちになったくらいだった。
そのせいか、自分でもびっくりするくらい素直に、ミクの背中を押してあげることができた。
まあ、ちょっとくらいは失敗しろ、なんてやましい考えがなかったわけではないけれど。
もちろん、失敗するはずもなくミクの恋は成就した。
そして2人が付き合うようになったからといって、今まで通り3人でよく遠出したり、飲みにいったりはした。
たまに2人を気遣って、用事があると嘘をついて遠慮したりはしたけど、関係は淀みなく、そこに不満も惨めな気持ちもなかった。

あいつは相変わらず優しくていいやつで、ミクもよく笑う子だった。
楽しかった。
とても。
変わらないと思ってた。ずっと。



だから、あいつが事故に遭ったと聞いたとき、とても驚いた。
いそいで病院に駆けつけてみれば、そこには沢山のチューブで繋がれたあいつが眠っていた。
血色の良いその寝顔はいつもと何一つ変わらなかった。

唯一、やつがもう目覚めることがない、という点を除いて―――。


いわゆる昏睡状態。
家族からそれを聞いたときの衝撃と悲しみは未だに覚えている。
そして自分以上に悲しみで大粒の涙をこぼすミクも。

しばらくの間、ミクは目も当てられないほど落胆していた。
頻繁にお見舞いに行ってるらしく、疲労と悲しみでげっそりとやつれた顔は、隈が消えずその口元からは笑みが消えた。

それでも最近は大分マシになったのだ。
この間病院でたまたま居合わせたときに、いつまでも落ち込んでいられない、奇跡を信じてみるよ、と無理やり笑顔を作って見せたのは記憶に新しい。
その時はまだ、神に頼るのとは少し違う感じがするけれど、自分達の世界が捻じれただけで、またいつの日かもどると信じていたんだろう。



「永遠にフラれちゃった……」

わざとおどけた口調でミクはそう言おうとしたが、その語尾は喉の奥から漏れた震える嗚咽にかき消された。
手で顔を伏せ泣き出したミクの肩をそっと抱き寄せようと手を伸ばした。

が触れる前にその手を降ろした。
それをやるのは俺じゃない。
あいつがいないからって、そのポジションを取るのは何だかフェアじゃない気がしたから。
だけど、目の前で泣くミク放っておくこともできなかった。

降ろした手を再び上げると、肩ではなくその腕を掴む。
驚いたミクが涙で汚れた顔を向けるが、何も言わずに腕を引き足早に歩き始める。

「ミ、ミクオ…?」

急に歩き出したから最初ミクは少しよろめいたけど、今は俺の歩調に合わせてせわしなく足を動かしている。

「連れて行きたいところがあるんだ」

「え…?」

ミクが戸惑った視線をこちらに向けるが、視線をかわすとミクはそれ以上何も言わなかった。

連れて行きたいところ。
この意味が伝わるかはわからないけれど、今、ミクに見せたいものがあった。
ミクの細い手首から伝わる鼓動が心なしか早い気がしたけど、それ以上に自分の鼓動が恐ろしいくらいに早く、それを隠すために益々足を早めた。



辿り着いた目的地は公園から10分ほど歩いた港の近くにそびえ立つ、展望台も兼ねた赤い塔。
入り口で入場料を2人分払うと、最上階の展望台へのエレベーターのボタンを押す。

チンと到着を告げる音がして扉がゆっくりと開いた。
上から降りてきた人達が出終えると、ミクと俺はそのエレベーターに乗り込んだ。
行き先を押してくださいとアナウンスされる前に最上階のボタンを押す。
来たときと同じようにゆっくりと扉が閉まると、二人を乗せた小さな箱は天上を目指して動き出す。
ガラス張りの窓から見える景色がどんどん小さくなっていく。
ぼーっとその光景を眺めていると、モゾっと何かが動く感触がした。
その時になって俺はミクの手首をずっと握っていたことに気付いた。

「ご、ごめん」

パッと手を離せば、ミクの細く白い手首にはくっきりと赤い跡が残っていた。

「ううん、大丈夫だよ」

涙の跡が残る顔でミクがやんわりと言った。

「随分と高いところまで来ちゃったね…」

外を向けば周りの高層ビルですら目下にあって、普通の家や車なんて豆粒くらいでしかない。
もうすぐ最上階が近い。
そう思った矢先エレベーターの階が点滅しだして、目的の階に着いたことを教えてくれた。

ガクッとちょっと揺れた後に扉が開く。
息を吸って、エレベーターから出ようとすると、隣にいたミクがそっと自分の右手を俺の左手に重ねてきた。
驚いてミクの顔を見ると、そこには俺の全てを信頼している彼女がいた。
何も言わずに、黙ってその手を取ると、俺とミクはエレベーターから降りた。


平日だけれど夜景を見に来ている人はちらほらといて、みな一様に地上にある宝石に目を輝かせていた。

『地上から300メートル以上離れたこの展望台では…』

お決まりのアナウンスが淀みなく流れる中、ミクの手を引きながらガラス張りの塔の中を練り歩く。
そして比較的人がいない、つまり夜景があまり見えない場所で歩みを止めた。

「ああ、よかった。ホラここからでも見える。」
そう言いながら俺が指差す方向をミクが見上げると、そこには地上の光のせいで弱々しく、だけど精一杯輝いているお月様がいた。

「あいつきっと今頃、宇宙に行って向こうから地球(こっち)を見てるぜ」

っつ…と、ミクの呼吸が詰まるのを肌で感じた。

「今はさ、こんだけしか近付けないけど、いつか宇宙旅行とかできるようになったらさ、会いに行こう」

「うん……」

「元気な姿、見せに行こう」

「う、ん……」

「あいつ絶対ミクのこと心配して、地球の周りぐるぐるしてるぜ」

(そう、ここから見えるあの月みたいに)

コクン、コクンと頷きながら大粒の涙を流すそんなミクの左手を強く握る。


突如、見上げていた月がぼやける。
それが何かと認識するより早く、温かい涙が自分の瞳から零れた。

ああ、そうだ。俺も悲しいんだ。
泣いているミクを励ますために、今日は泣かないつもりだったのに。
そうは思っても涙は重力に逆らうことなく溢れ、周りの客にジロジロ見られながらも俺とミクは構わず泣き続けた。

泣きながらも俺は頭の片隅で、もし本当に月に行けたなら。
そこは辛いコトや悲しいコトも全部1/6になるのだろうか。
それならば、いつか重力の鎖を断ち切ってミクをそこに連れて行ってあげたい。
例えそれがエゴイズムだとしても。
そんなコトを考えていた。