揺れるソプラノ

「あーもう!またお弁当食べる時間が減っちゃった!!」
嘆きの叫び声を上げながら席につくと、まだ未開封のお弁当箱の包みをほどく。
あ、今日はから揚げだ!と自分の好物に喜びつつも、それ故に味わって食べる時間がほとんどないことが悔やまれる。

「お帰り!どうだった?」
もぐもぐと忙しなく口を動かしなが視線を上げると、とうにお弁当を食べ終えたのであろう、リンがニヤニヤと好奇心一杯の目で私を見ている。

「何も。」
紙パックのお茶でから揚げを流し込むとそれだけ告げる。
「ええ、そうなの?今回はサッカー部の先輩でしょ。カッコ良かったんじゃないの?」
リンにそう言われて、私はさっき見てきた顔を思い出そうとする。
だけど漠然としか思い出せない。髪が短くて、背が高くて、それから目は切れ長だったかな?いかにも爽やかなスポーツマンといった感じの雰囲気だったのは覚えている。

「まあ、確かにカッコ良かったと思うよ…?」
「それなのにダメなの?」
私の発言に不満そうなリンに、顔で恋愛するわけじゃないでしょ?と言い彩りのプチトマトをぽーんと頬張る。

「そもそも私、一目惚れって信じてないし」
と付け加える。そんな私にリンはそうなの?と呆れたように苦笑していた。

「それにしてもすごくない?」
「なにが?」
何とか時間内にお弁当を食べ終え、残り少ないお茶を飲み干す。

「だって今日で三日連続でしょ?」
「そうみたいね」
三日連続というのは、告白された回数だ。毎日下駄箱を開けるたびに顔も知らない上級生からの手紙が入っている。
中身は決まって、『お昼休み屋上で』、だ。芸がなさすぎだと思う。
答えが全てノーだとしても、行かないわけにはいかないので、この三日間私はわざわざお昼休みを削って屋上に赴いているのだ。

「まあ入学当初はもっと凄かったけどねー」
「ほんとっっイイ迷惑よ!おかげでここ三日お弁当をゆっくり食べれてないんだから」
「ゴールデンウィーク前だからかな?今回は全員上の学年だよね」
肩くらいまでの髪をゆらしながらケラケラ笑うリンを見上げ、次はせめて放課後にしてもらいたいわ、と肩をすくめてみせた。
その言葉にリンがまた笑っているところでお昼休みをの終わりを告げるチャイムが鳴り、じゃあね、と短い挨拶をしてリンは自分の席に戻っていった。
ふう、一息ついた私は次の授業のノートと教科書を取ろうとカバンを開けると、そこには今朝下駄箱に入っていた二通目の手紙が目に入る。

『今日の放課後校舎裏で』

宛名もなにもないその手紙は、どう見ても字体は女のもの。
クシャリと手紙を握り潰すとポケットにねじり込む。そして何事もない顔でノートと教科書を広げる。
だけど心の中は不安でいっぱいだった。


放課後、いつもならリンおしゃべりをしながら適当に帰るところなのだが、その誘いを用事があるからとやんわりと断る。

「何かあるの?」
きょとんとするリンに、
「今日は放課後も呼び出しがあるみたい」
大げさにため息を吐けば、ああ、なるほどと特に疑問もなく納得してくれた。

「モテる女はツライねー!」
「まったく、安息日はいつくるのかしら」
「そんなこと言ってると恨まれるよ」
ドキリとしながらもハハハと笑って誤魔化した。リンには心配をかけたくないから。
もらった手紙が多分怨恨関係であることは絶対に言わない。
リンは優しいから、手紙の内容を知ったら絶対に付いて行くと言うに決まっている。リンには関係ないことでリンが傷つくのはイヤだ。
それに私一人だったらきっと何とか跳ね返せると思うから。

「だから今日はゴメン!」
顔の前で手を合わせると、いいよいいよ、リンは笑って
「じゃあ何かあったら絶対に教えてね!」
と無邪気な笑顔で手を振りながら教室を出て行った。
「明日ね!」
と私も手を振りながらリンの背中が廊下のから完全に見えなくなるのを見届ける。
それからくしゃくしゃになった手紙をポケットから取り出す。
それを伸ばしながら、文面にもう一度目をやる。
行くのやめようかな……一瞬そう思ったが、行かなければ行かないでそれは何だかこわかった。
そもそも100%悪いことが起きると決まったわけではないのだ。間違いとか。もしかしなくとも初めての女の子からの告白、という可能性だってなくもない。
そう考えてから、それはそれでイヤかも、と思ったけど今私が思い描いている一番最悪の状況に比べれば、ずっとマシに思えた。
そうだ必ずしも悪いことが起きるわけではないのだ。そう自分に言い聞かせると心を奮い立たせて私は校舎裏へと向かった。



校舎が陰になってほとんど日が当たらないそこはひんやりと冷たい空気を纏い、普段は人気がないことがうかがわれる。
ちょっとやそっと騒いだぐらいじゃ誰も気が付かないだろう。
まさに人を呼び出すにはうってつけの場所だ。

「あんたが初音ミクね」
私を呼び出した人物はやはり女の人だった。
だけどどの人かはわからない。校舎にもたれかかって不機嫌そうに眉間に皺を寄せている人は三人組だったから。
歩み寄った私はさり気なく制服の校章を見る。
その色から一つ上の学年であることはわかったけど、それ以上のことはわからない。
私は内心で舌打ちした。考えていた中でもかなり最悪のパターンだ。

「そう、ですが……」
そんな心境は出さずに、しおらしく応えると、三人はふーん、と物色するように私を頭から爪先までじろじろ見渡す。
そのエラそうな態度にすこしばかり腹が立つ。

「ねえ、あんたさぁ、最近ナマイキなんだよね」
「…えっ?」
「色んな人にコクられていい気になってんじゃない?」
「どうせ、男に媚うってんでしょ」
三人が三様に口を開きあれこれと私の悪口を言う。
今までもそういうことは何度かあった。だけど、陰で言われるだけで、こんな面と向かって言われるのは初めてだった。
リンを含め仲のよい友達は、それが単なる妬みを含んだ噂でしかないことを理解してくれたから、私がそのことで傷つくことはなかった。

三人のあてつけは途切れることなく、どんどんと続いていく。

ああ、もうダメだ。
我慢して言わせるだけ言わせておけばよかったのに。
私はついうっかり口を滑らせた。

「うるさい」

自分でもびっくりするくらい低い声だった。
三人の声がピタリと止まり、辺りが静まり返る。

「別に好きで告白されてるわけじゃないし。だいたい勝手に一目ぼれして、勝手に告白してくるのはいつも向こうで私の気持ちなんてお構いなし。
それを断ってただけでこんな言いがかり、はっきり言ってイイ迷惑なのはむしろこっちで……」

どん!と強い衝撃が背中に走る。
突き飛ばされて校舎の壁にぶつかったのだ。

「痛っ…!」
鈍い痛みに思わず声を漏らしてしまったが、私ははっとなって顔を上げる。
見渡した三人の先輩の顔色は先ほどまでとは比べもにならないくらい、「怒り」の色で染まっていた。
しまったと直感した。背中の痛みはどこへやら、今は嫌な感じの汗がじんわりと伝う。

「あんた、自分の立場わかってないみたいね」
三人の鋭い視線に貫かれて、後ずさりするもののすぐに校舎の壁に阻まれる。

「今日は注意だけにしようと思ってたけど…」
その言葉と供にスカートのポケットからカッターナイフが取り出される。
「その長い髪、前から気に食わなかったのよね」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると、軽快な音をたてながら刃部分を出す。

逃げなきゃ!頭の中でガンガン警報が鳴る。それなのに足がすくんで動けない。
先輩たちがじりじりと近付いてきて、私の髪を一房掴んだ。

(ダメ…!)
私は思わずぎゅっと目を閉じた。
刹那、ドサドサドサ!という何かが空から降ってきた音と、先
輩たちのけたたましい叫び声が耳に入ってきた。
「きゃあっ!」
「何コレ!?」
「やだぁっ!」
恐る恐る目を開けてみると、辺り一面に散らばったゴミ屑とそれをモロに直撃した彼女たちが、必死な面持ちで払っている姿が目に入った。

「ちょ、誰よ!?」
怒りで顔を真赤にしながら先輩が上を見上げると、三階の窓が開いていてそこから、

「先生ー!裏庭で女子がケンカしてまーす」
という声が聞こえてきた。
その声を聞いた瞬間、きゃーきゃーと騒いでいた先輩たちの顔が一気に青ざめた。

「きょ、今日はテンション下がったしここまでにしてあげる」
真ん中の女がそれだけ言うと、ぶつぶつ文句を言いながらも彼女たちは駆け足で校舎裏から去っていった。

(たすかった…?)
あっという間の出来事に、私は背中を校舎につけてずるずると座り込んだ。
ぼう然と足元に散らばる色とりどりのゴミを見つめていると、誰かの影が視界に映る。
まさか、本当に先生が!?そう思って顔を上げると、そこには見慣れない男の子が立っていた。

「立てる?」
「う、うん」
手を差し伸べられたので、素直にそれに掴まって立ち上がる。

「少しゴミがついちゃったね」
その人は優しい手つきで、私の前髪に付いたゴミを払いのける。
「あなたが助けてくれたの…?」
「うん。ゴミ捨てに行こうとしたら初音さんが上級生にいじめられてたから」
「……ありがとう…」
「ううん。それにしても、初音さん意外と無茶するね」
え、と驚いた顔をすると、先輩のケンカ買っちゃうなんて、と苦笑しながら彼は言った。

「だって本当のことだし。好きで告白されてるわけじゃないもん。それで勝手に恨まれて、こんな目に遭って…」
まだ高校生活は始まったばかりなのに、これからもこんな未来が待ってるの?
そう思うと虚しくて悲しくて、先ほどの恐怖も振り返ってきて、ボロボロと涙がこぼれた。

「もう、やだ…」
一度流れ出すと涙は堰をきったように後から後からこぼれた。

「ねえ、泣かないで」
今まで黙っていた彼がそっと制服の袖で私の涙を拭った。
「ごめんね、ハンカチなくて」
と申し訳なさそうに呟くから、私は首を横に振る。
なんで私リンにも言ったことがないようなことを、見ず知らずの人に言ってるんだろう。



「落ち着いた?」
ひとしきり泣いてだいぶ平静を取り戻した頃、彼が私の顔を覗き込みながら聞いてきた。
その顔の近さにドキリとして、私は思わず下を向く。
「ご、ご、ごめん制服汚しちゃって…」
「いいよ、別に、これくらい」
にっこりと彼が微笑む気配がする。
そういえば私はこの恩人の名前をまだ知らない。

「あ、あの、あなたの名前は…?」
「僕?僕は初音ミクオ、初音さんの隣のクラスだよ」
知ってた?と聞かれたので私はううん、と首を振る。

「でも、今覚えた」
そう言ってミクオ君に微笑んでみせる。
すると彼は何かを考える風に、口元に手を置きしばらくしてから口を開いた。

「覚えるついでに、僕と付き合ってみない?」

そのあまりにスラリとした言葉に私は頭が付いていけず、目をぱちぱちさせてしまう。
それから改めてミクオ君をちゃんと見る。
目の前に立つ彼は照れた様子もなく、余裕のある笑みを浮かべている。
そんな彼と目があった。
その瞬間、私の体温が急上昇して、心臓がわずらわしいほど鳴り響いた。
思わず目を伏せてしまった私は、初めての感情に戸惑ってしまう。

「いや?」
「………いや、じゃない…」
小さな声でそれだけ言うと、そっと肩が引き寄せられて抱きしめられた。
「ミクって呼んでいい?」
私がコクンと頷くと、微笑んだ気配がした。
「また今日みたいなことがあったら、助けてくれなきゃ困る」
擦れた声でそう言うと、りょーかい、と彼の腕に力がこもった。

明日、リンに報告しなきゃ…。
ミクオ君のことと、それから一目惚れがあるってことを。